宝石の国仏教ガチまとめ
〜ウルトラガチ仏教解説、心してお読みください〜
宝石の国、29日まで無料公開でしたね!!
皆さんはもう読まれましたか?
このお話の概要としては、月人(月の住人)たちが宝石を狙って宝石の国に侵略を繰り返してきます。仲間を失いつつ、先生と呼ばれる人物と共に宝石の国の国を守る宝石たちのお話です。
私はそれはそれは楽しく一気見させていただきました。主人公のフォイフォライトが前半はとても優しく純真無垢だったのに、後半になるにつれ、だんだん苦しみを知って人間に近づいていく様がまさにTwitterで「地獄」と表現されていたものでした。
ところで、この宝石の国を書いた作者の市川春子先生は仏教大学を出ています。4年間みっちり仏教を学んでから宝石の国を描かれたんですね。そのため、宝石の国にはたくさん仏教モチーフが出てきていて、内容も仏教の説話にある程度基づいたものとなっています。このキラキラした描写で驚きです。今日はそれをまとめます。
まず、市川美子さんが着想を得たのは仏教校の授業で、極楽浄土では、''すべてのものが宝石でできている''と習ったことです。
「''すべてのもの''が救われると説かれる場所でさえも、宝石は装飾にしかならないんだ」と思ったことから着想を得て、宝石の国を描かれました。また「極楽浄土の宝石はどこで取れるのか」とも思われたそうです。
そこで極楽浄土を飾りつけるために、宝石を採集しに来る仏様たちのお話を描かれました。
ゴリゴリの仏教は第1話からスタートします。
宝石たちは「死ねないので、何事も諦められない」と口にします。仏教では「諦」は真理や悟りを指しています。これはつまり宝石のままでは悟れないことを示しています。
主人公のフォスフォライトは第1話地点で、仏教の【四苦八苦】の【四苦】までクリアした状態です。四苦=「生老病死」のことであり、宝石であるフォスは''生を受けて生まれず、老けもせず老いもせず、病気にもならない''のでクリアしていると言えます。
残りの四苦は
①愛別離苦(あいべつりく)・②怨憎会苦(おんぞうえく)・③求不得苦(ぐふとくく)・④五蘊取蘊(ごうんしゅく)です。
①愛別離苦(あいべつりく)
親・兄弟・妻子など愛する者と生別・死別する苦しみ。愛する者と別離すること
フォスは沢山の宝石達とお別れしてきました。
②怨憎会苦(おんぞうえく)
怨み憎んでいる者に会う苦しみ
最後の方ですね。魔獣のようになったフォスの姿が浮かびます。
③求不得苦(ぐふとくく)
求める物が思うように得られない苦しみ
ちょこちょこ上手くいかなくて落ち込んだり、考えたりするフォスの姿が見られます。
五蘊取蘊(ごうんしゅく)
④五蘊(人間の肉体と精神)が思うがままにならない苦しみ
最初から最後までこの調子でしたね。弱いと思い、強くなったら亡くなった仲間の面影を見てメンタルで苦しみます。
これらに苦しみ、クリアしていくことで弥勒(みろく)菩薩になるんですね(後解説)。
そして物語初期は仏法僧の姿が語られています。「仏法僧」は仏道におけるこの上ない宝、「三宝」のことです。
①仏と②その教え、そして③法を伝える僧が宝であり、実践していく必要があります。
仲間たちと共に先生に仕えながら日々学び、努力しています。
また、これは十波羅蜜(はらみつ)の物語でもあります。
波羅蜜とは大乗仏教においてのなるべき性格リストです(仏教Web参照)
1)布施
持ってるものを分け与えよう!フォスらしいですね
2)持戒
自己欺瞞の心では無く、清らかな心でいることです。フォスそのままです。
3)出離
物事にしがみついて執着しない。うーん、細ういうとネタバレだけれど、頑張ってましたね。
4)智慧
何でもかんでも人が言うことを信じるのではなく、自分で「どうなっているのか」と調べる、確かめる性格のことです。先生に対するフォスの態度そのものです。
5)精進
怠けない性格のことを言っています。終始可哀想なくらいに努力していました。
6)忍辱
頑張ったからといって、必ず良い結果になるわけではないと理解する。月人と話すことや地上上に行くこと、上手く行ってませんでしたね。
7)真諦
自分自身で調べて確かめる性格のことです。フォスは終始頑張っていました。
8)決意
目的を貫く性格です。言うまでもなく貫き通しました。たとえ皆が振り向いてくれなくても…
9)慈波
慈悲・慈しみのことです。いつでもパーフェクト!ですが、最後の石ころのことでしょうね。
「かわいいね。」だったかな?
10)捨波
落ち着いた性格でいることです。最後の方のシーンでは安らかでしたね。
まだあります!もう一個!!
これは「七宝集め」の物語でもあります。
七宝というのは仏典に書かれている金(こん)・銀(ごん)・瑠璃(るり)・玻瓈(はり)・硨磲(しゃこ)・赤珠(しゃくしゅ)・碼碯(めのう)です。
この物語では最初に瑪瑙を接続し、今度は金銀・瑠璃の頭にアトビラビニスの貝殻等、徐々に七宝を集めていきます。
この七宝、仏典では浄土の美しさを表すために使われますが、七宝で作られた牢獄があるとも説かれています。何不自由ない生活をしていながら満たされない、本当の生きる意味が分からない状態を牢獄に例えているのです。フォスは何のために生きていたのでしょうか。物語の全体を通して、なんとも考えさせられるお話です。
そして後半では宝石・アトミラビニス・月人
の3つの人種が出揃います。
これは、仏教の3界を表しているとされています。
アトミラビニス=欲界(wiki参照)
欲望につながれて苦しみ迷うものを欲界の衆生と言う。
宝石=色界(wiki参照)
美しい形にとらわれているものを色界の衆生という。
月人=無色界(wiki参照)
美しさへのとらわれは超えているが、なお迷っているものを無色界の衆生という。
ちなみにアトミラビニスはラテン語訳で賞賛すべきという意味です。
菩薩であるフォスが救わなければいけない3界の住人達が出揃いました。
この辺(月人が出てくる辺り)では月の誕生秘話が語られます。その中に
①月は6個で②6回死んだと言うお話が出てきます(11巻あたり)
〈6〉という数字に対する拘りが見えますが、
②6回「死んだ」輪廻転生ですね〜✨
これは「六道」と言います。仏教での死後の世界を指し、6つの世界があります。 ①地獄、②餓鬼、③畜生、④修羅、⑤人間、⑥天上の世界です。
①地獄道=「苦しむ世界」 ② 餓鬼道=「満足しない世界」③畜生道=「無知な世界」 ④ 修羅道=「戦いの多い世界」⑤人間道=「善悪混在の世界」⑥天上道=「幸福な世界」
人間は死ぬとこれらをグルグルと回りながら輪廻転生すると言われています。この六道を迷い続けることを六道輪廻と呼びます。
私の主観ではフォスはこの道を①⇒⑥に真っ直ぐ来たように思います。仕事に飢えたり、他人の体を使ったり。戦いも勿論沢山してきました。金剛とのやり取りで最後も人間道に近かったように思います。
ちなみに閻魔は皆さんご存知の閻魔様で、金剛は地蔵菩薩のことです。
地蔵菩薩はお地蔵さんのことです。急に親しみ深いですね笑。
お地蔵さんは(お釈迦さまが入滅してから)弥勒菩薩が現れるまでの間、六道を巡りながら人々を救う役割を担っていました。つまりこの物語だと釈迦が入滅してから弥勒菩薩であるフォスが現れるまで人々を救っていたとの事です。
実際に金剛は壊れかけでも少なからず人々を救っていたので、間違いないんでしょうね。見た目もお坊さんルック笑。
ちなみに閻魔様はお地蔵さん(地蔵菩薩)と同一に見なされることが多々あります。
つまり閻魔=金剛で、2人して弥勒(みろく)菩薩のフォス誕生に力を注いでいたと見ることが出来ます。
あと、小ネタですが
①もふもふは108匹いました。
仏教において108は意味のある数字で、「百八の煩悩」と言います。人間の心の苦しみや迷いの根源とされる108種類の心の動揺のことを指しています。金剛…フォス…つらいよ〜
②ラピスの頭をつけてフォスの微笑み方はアルカイックスマイルと言われています(Twitterで発見)アルカイックスマイルとは口元だけ微笑んでいる微笑み方、まさに菩薩がする慈悲の微笑みです。その中でも特に弥勒菩薩の微笑みが有名です。
③月人のモデルは雲中供養菩薩像☁️
信者が亡くなる時、浄土から阿弥陀如来と共に雲に乗って52体でお迎えに来ます。
「阿弥陀如来の来迎図」そっくりです↓↓↓
画像からしてありがたや〜〜〜感ありますね。
④2千手観音の眷属は二十八部衆、宝石の国の宝石は28名です✨つまり宝石=二十八部衆と言えます。ただ、必ずしも28人ではなく解釈の別れるところです。
⑤二十八部衆の中には密迹金剛力士が含まれています。金剛力士というのは観音様とか行くと両脇に立ってるイカついやつです。仁王像って言ったら分かるかな?誰とは言わないけど、そっくり!
⑥先生の着物は襟の向きが正しいのにも関わらず、宝石達の襟が死装束と同じ向きです。宝石たちが死者だけれど、先生は生きているものと見なされているようです。
⑦パパラチアにある生まれつきの穴は蓮っぽいですが、パパラチアの語源は蓮の花です。
そしてフォスはゴリゴリ六道を突き進んで成長していきます。
そして最後、50億年だった到来が1万年に縮んでましたね笑
仏像に掘られた菩薩とフォスの姿が似ていると話題になりました。
仏教では弥勒菩薩の救いの到来が56億7千万年後と言われています。だからフォスフォライトは弥勒菩薩であるわけです。そして、彼はフォスフォフィライトの部分を捨てて解脱します。
弥勒菩薩は菩薩の中で最高位とされる菩薩です。「菩薩」とは、仏を目指す人という意味です。悟りを得ると仏となります。釈迦が亡くなって56億7000万年後に登場し、悟りを開いて仏になり、多くの人を救済するといわれています。実際、日本でも平安時代に弥勒信仰が流行しました。
皆さんご存知「南無阿弥陀仏」は親鸞がこれを唱えれば弥勒菩薩と同じになれるよ。と唱えたものです。フォスの苦労を見ていると恐れ多い気分ですね。
ちなみに弥勒というのは「慈しみ」の意味を持っています。「慈悲の菩薩」という意味です。フォスには残酷過ぎる程ピッタリな名前ですね。最初、先生に「やさしい子だよ」と言われ最後も石ころに「やさしい子」と言われるのもフォスが弥勒菩薩であることを表しているのでしょう。
これは弥勒菩薩が解脱するお話です。
そして最後には弥勒菩薩のフォスは解脱し弥勒如来へと変わっていきます。弥勒如来↓↓↓
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